サウンドスケープに関する著作はすでにかなり出版されているが,ここでは入手が比較的容易なものを中心に紹介する。


世界の調律-サウンドスケープとはなにか
[平凡社:1986]

サウンドスケープを学ぶなら,なんと言ってもその提唱者R.マリー・シェーファーの主著(鳥越けい子他訳)『世界の調律-サウンドスケープとはなにか』(平凡社,1986)を読まねばならない。サウンドスケープを歴史・文化から説き起こし、分析、デザインへと筆を進めていく過程に著者の該博な知識が披瀝されていて,音が好きな読者にはこたえられない。しかしこれは啓蒙書ではない。読者に音響学や音楽学などについて基礎知識があることを前提として書かれている。あるていど音・文化・音楽などに関する知識がないと理解しにくい。初学者にはいささか骨太の書である。と言って,これは学術書でもない。こう言うのは、つねに明快に論旨が通っているわけではなく、試論の部分も少なくないし、ほとんど知識を羅列しただけのように思える部分もあるからだ。結果として本書はとっつきにくい印象を与える。だがじっくり読めば示唆に富む,すぐれた著作であることは言うまでもない。この本自身が音楽家シェ-ファーの「作品」だと言ってよいだろう。


サウンドスケープ
[鹿島出版SD選書:1998]

わが国にサウンドスケープを紹介したのは、現代音楽家高橋悠治氏が雑誌『トランソニック』に『世界の調律』の序論の案文を翻訳して紹介したのが最初である。当初サウンドスケープは、音楽美学上のひとつの理念として音楽関係者のあいだで受けとめられたが、シェーファーが力説したのは音のエコロジーとしてのサウンドスケープであり、その実践としてのサウンドスケープ調査とサウンドスケープ・デザインである。その意味では鳥越けい子氏が本格的な紹介者と言ってよい。氏は1980年代前半、カナダのヨーク大学でサウンドスケープとシェ-ファーについて研究したのち,わが国で最初に神田をフィールドとして調査を開始した音楽学者である。その後さまざまな活動を展開しつつ,その活動事例に立脚した議論を鳥越けい子著『サウンドスケープ』(鹿島出版SD選書、1998)にまとめた。氏が関与した瀧廉太郎記念館の庭園(大分県竹田市)はサウンドスケープ・デザインのあり方に大きな一石を投じたが、それについても詳しく紹介されている。


波の記譜法 環境音楽とはなにか
[時事通信社:1986]

少なからぬ人がサウンドスケープへの道案内を受けたのではないか、と私が見るのは、小川博司ほか編著『波の記譜法 環境音楽とはなにか』(時事通信社,1986)である。現代音楽・環境音楽の書として魅力あふれる本書は、サウンドスケープ概念への誘いの書でもある。特に音楽分野からサウンドスケープを見るときにお薦めしたい。サウンドスケープ概念は、かなり多様に受けとめられている。あいまいさがあるとも言えるのだが、逆にいうと一人では語り尽くせない学際的領域だということでもある。現代のエスプリ354号『サウンドスケープ』(至文堂,1997.1)では、音楽学,民族音楽学,音楽美学,環境音響学の研究者がサウンドスケープについて座談会を開き,縦横に論じているほか,社会学,建築学,生物学,行政,NPOなど15人の執筆者がそれぞれの立場からサウンドスケープを語っている。『世界の調律』の出版後,わが国におけるサウンドスケープ論の発展は世界でも指折り,というより最高だと思うが,それを概観するには好個の文献だ。


音の生態学―音と人間のかかわり―
[コロナ社:2000]

上の本でもとっつきにくいと言う向きには,岩宮眞一郎著『音の生態学―音と人間のかかわり―』(コロナ社,2000)がある。カジュアルに書かれているので,読みやすいはずだ。しかし本書は著者の経験や研究成果が中心にすえられていて,いちおうサウンドスケープ論を学んでから読んだほうがよく読めるだろう。本書を入口にして、サウンドスケープの世界に入り、さらに上記文献を学んだのち読み返してもよい。


小さな音風景へ サウンドスケープ7つの旅
[時事通信社:1997]

中川真編著『小さな音風景へ サウンドスケープ7つの旅』(時事通信社,1997)は7人の若手研究者が国内外で行ったサウンドスケープ調査に関する報告である。と言ってもふつう想像するような学術報告ではない。読みやすい文体で書かれている。編者は『平安京 音の宇宙』(平凡社,1992)で雄大な京都のサウンドスケープを描いてみせたが、ここではむしろ小さなサウンドスケープに焦点をあてた。本書末尾に中川氏が記した「小さな音風景へのノート」は、高度のサウンドスケープ調査論である。サウンドスケープを相対化して研究対象とすることへの疑問を含む議論などは、特に理科系の発想に慣れた頭脳には染み込みにくいかもしれないが、サウンドスケープを考える上で必読文献として挙げたい。


音の風景とは何か サウンドスケープの社会誌
[日本放送出版協会:1999]

山岸美穂・山岸健著『音の風景とは何か サウンドスケープの社会誌』(日本放送出版協会,1999)はシェーファーの『世界の調律』にも劣らないほど浩瀚な知識を披瀝した書である。読者は感性論から導かれて、著者のサウンドスケープ論に踏み入ることになる。読み進むうちにいくつもの大きなテーマがさらりと紹介されていることを発見するであろう。それぞれにもっと詳しい展開がほしくなるが、それは紙幅の制限からやむを得まい。現象学的社会学の立場から展開する健氏のサウンドスケープ論は、やはり必読文献である。


騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか
[講談社プラスアルファ文庫:2001]

中島義道『騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか』(講談社プラスアルファ文庫,2001)は,すぐれた音文化論の書だ。サウンドスケープは「個人あるいは社会によってどのように知覚され,理解されるかに強調点の置かれた音の環境」と定義される。その意味では、まさに著者個人の知覚と理解を強調した音の環境として日本の音環境が語られている。著者はちゃんとした哲学者で,その論理展開は明快である。本書の趣旨はサウンドスケープ論そのものではないが,音環境を文化的に考えるには必読書としてあげておきたい。著者は,音文化論を展開するだけが目的で本書を書いてはいない。同時に自らの戦いに参画してくれるように,また自らの感性に理解を示してくれるように訴えている。ただ著者がサウンドスケープ論者の主張を批判している部分は著者の理解不足であり,決め付けであることを断っておく。その点を含んで読んでほしい。


サウンド・エデュケーション
[春秋社:1992]

サウンドスケープは,肘掛け椅子に座って考え,炉辺で議論するだけのテーマではない。野外で調査し,各人が実践しなければ意味がない。その点,R.M.シェ-ファー著(鳥越けい子他訳)『サウンド・エデュケーション』(春秋社,1992)は,サウンドスケープの実践=聴き方の学習を示した書である。「論」はないが,それを補うだけの内容のある文献である。著者が英語で出版する前に翻訳が出版されたというエピソード付。


環境イメージ論
[弘文堂:1992]

最後に小論を紹介することをお許しいただきたい。古川彰・大西行雄編『環境イメージ論』(弘文堂,1992)は5年間の「風景論研究会」の成果でもあるが、そこに所収されている拙著「風景としての音」は、環境学の立場からサウンドスケープを考えたものだ。環境学で音を扱うときは騒音として対処するのが大勢であるが、それでは音環境全体を見渡すことができない。ではなにを考えねばならないか。本書の上梓以来議論は重ねられてきたが、筆者の基本姿勢は変わっていない。騒音制御の発想は分かりやすい。しかしそれから一歩踏み出してサウンドスケープを考え始めると、なんと面倒くさい議論が必要かが分かっていただけるのではあるまいか。 (平松幸三『エコソフィア』9巻所収)

 

サウンドスケープ INDEX
○ 概説(用語と考え方)
● お薦めブックガイド
○ 学ぶ・研究する

このページのトップへ移動

日本サウンドスケープ協会